ものろーぐ

感じたことを、そのままに。

人智を超えた

ものに対する畏怖の念について。

豪雨が降った時に「この世が終わるような」悪天候って言うじゃないですか。
後は巨大な竜巻を遠くに視認した時とか。

でもよく考えたら、少なくとも今を生きている私たちは「この世の終わり」なんて経験していない訳で。

誰も知らないんです、終わりを。

怒った自然の前には、人間は塵ちりひとひらにも及ばない。人間などという存在は全く無視されている。
有島武郎 / 生まれいずる悩み

「怒った自然」というのは先述したような荒れ模様の天気のことだと伺えます。
人類は天気を含めた万物を擬人化することで「概念化」していたのではないかと考えます。

日本では古来より八百万の神の存在が信じられてきました。
理解し難いものや人に危害を加えるものに対して姿を与え、身近にある全てのものを信仰の対象としたことで、恐れ敬うものや親しみぶかいものにすげ替えたのではないでしょうか。


さて、悪天候の話題に戻ります。

昔はきっと、なぜ天気が荒れるのか理解し得なかったでしょう。
人智を超えた「神」の怒り=我々人間の力及ばない現象、とすることで責任感を覚えずに済んだとも捉えられます。
どう足掻いても救われない、人間如きでは手も足も出ない状況下に置かれた時に湧いてくる「諦め」を表すために「この世の終わり」と表現したのだと思います。


ノストラダムスの大予言ってありましたよね。「1999年の7月に恐怖の大王が来る」ってやつ。
(まあ実際に人類が滅亡していたら私は生まれてないので、何事もなくて良かったです。)
あれも、環境問題とか核兵器とか、我々人間の愚かな産物が引き起こした惨劇であるとされていたそうです。

「終わり」は未知のものであり、私たちは知らないということを恐れます。
特に、「死」という概念について、私たちは知る由もないのが現状です。

何が言いたいのかわからなくなってきたのでまたまとめ直して編集かけるかもしれませんがひとまず考えたことを吐き出しておきたい。
こういう学問領域にも手を出してみたいのよねえ。